子どもを育てているようで、私も育てられていた

子どもを育てていると、子どもの成長だけではなく、自分の未熟さが見えてくる日があります。

思ったように動いてくれないとき。
こちらの言葉が届かないとき。
何度も同じことでつまずくとき。
子どもの不安や癇癪に、自分の心まで引っ張られてしまうとき。

そんなとき私は、子どもをどうにかしようとする前に、
自分の中の焦りや不安を見つめる必要があるのかもしれないと思うようになりました。

今日は、子どもたちを通して見えてきた、自分の未熟さについて書いてみます。

目次

子どもを変えたいと思うとき、本当は自分が不安だった

子どもに対して、つい強く言ってしまう日があります。

早くしてほしい。
学校のことを考えてほしい。
少しでも勉強してほしい。
人に迷惑をかけないでほしい。
将来困らないように、今のうちにできることを増やしてほしい。

言葉だけを見ると、子どものためのように見えます。
でも、その奥には私自身の不安がありました。

このままで大丈夫なのか。
将来どうなるのか。
私が今、何かしないと手遅れになるのではないか。

そういう不安が強くなると、私は子どものペースを待てなくなります。
子どもの状態を見るより先に、自分の焦りを落ち着かせたくて、何かをさせようとしてしまう。

子どもを変えたいと思っているようで、
本当は、自分の不安を早く消したかったのかもしれません。

ここに気づいたとき、少し苦しくなりました。
でも同時に、これは大事な気づきでもありました。

「正しいこと」を言っているのに、伝わらない理由

親として、間違ったことを言っているつもりはありません。

生活リズムを整えた方がいい。
学校や学びのことは大事。
人との関わりも大切。
将来のために少しずつ力をつけてほしい。

どれも正しいことです。

でも、正しいことが、今の子どもに届くとは限りません。

子どもが疲れているとき。
不安でいっぱいのとき。
感覚がしんどいとき。
自分でもどうしていいかわからないとき。

そんな状態の子どもに、正しさを重ねると、余計に苦しくなることがあります。

私は、正しいことを言っているつもりで、
子どもの「今は無理」というサインを見落としていたのかもしれません。

正しさより先に、安心。
説明より先に、落ち着ける状態。
解決より先に、「しんどかったね」と受け止めること。

頭ではわかっていても、毎日の中で実行するのは本当に難しいです。

子どもの癇癪や反発に、私の心が揺れすぎる

子どもが荒れると、私の心も大きく揺れます。

泣く。
怒る。
暴言を言う。
動かなくなる。
何を言っても返事がない。

その場では、冷静でいようと思っても、こちらの中にもいろいろな感情が出てきます。

悲しさ。
怒り。
焦り。
無力感。
恥ずかしさ。
「またか」という疲れ。

子どもの感情に巻き込まれて、私自身も不安定になります。
あとから、「もっと落ち着いて対応すればよかった」と後悔します。

でも最近は、これも私の未熟さのひとつなのだと思うようになりました。

子どもの感情と、自分の感情を切り分けること。
子どもが荒れていても、私まで一緒に沈み込まないこと。
目の前の状態を見ながら、自分の呼吸も戻すこと。

これは、簡単にできることではありません。
でも、親として長く関わっていくためには、少しずつ身につけたい力です。

子どもに求めていることを、自分はできているのか

子どもには、よくこう思います。

気持ちを言葉にしてほしい。
困ったら助けてと言ってほしい。
一度落ち着いてから考えてほしい。
失敗しても、またやり直してほしい。

でも、ふと考えると、私自身も同じことが苦手です。

困っていても「大丈夫です」と言ってしまう。
助けてほしくても、頼る前に自分で抱えてしまう。
感情がいっぱいになると、冷静に言葉にできない。
失敗すると、自分を強く責めてしまう。

子どもに求めている力は、実は私自身にも必要な力でした。

親だから先にできていなければならない、ということではないのかもしれません。
でも、子どもに言う前に、自分も練習していく必要がある。

そう思うと、子育ては「教える」だけではなく、
親の自分も一緒に学ぶ時間なのだと感じます。

子どもの特性は、私の価値観を揺さぶる

発達特性のある子どもを育てていると、これまで自分が当たり前だと思っていた価値観が揺さぶられます。

学校には行くもの。
勉強はした方がいいもの。
人にはきちんと挨拶するもの。
嫌でも少しは我慢するもの。
約束は守るもの。
集団に合わせることも大切。

どれも社会の中では必要な考え方です。
でも、子どもたちの状態を見ると、それをそのまま押しつけるだけではうまくいかないことがあります。

学校に行くだけで消耗する日がある。
服の感覚だけで一日が崩れることがある。
選択肢が多いだけで頭が止まることがある。
人の言葉を強く受け取りすぎて、動けなくなることがある。

私が「普通はこう」と思っていたことが、子どもにとっては大きな負荷になる。
その現実を見るたびに、自分のものさしを見直す必要が出てきます。

これは苦しい作業です。
でも同時に、私自身の視野を広げる経験でもありました。

未熟さに気づくことは、親として失敗した証拠ではない

自分の未熟さに気づくと、落ち込むことがあります。

もっと器の大きい母親だったら。
もっと優しく受け止められる人だったら。
もっと余裕があったら。
もっと最初から正しく関われていたら。

そんなふうに思う日があります。

でも、未熟さに気づくことは、親として失敗した証拠ではないのかもしれません。

むしろ、気づいたから変われる。
気づいたから立ち止まれる。
気づいたから、次は少し違う選択ができる。

完璧な親になることはできなくても、
昨日より少しだけ気づける親にはなれるかもしれません。

そのくらいの希望は、持っていてもいい気がします。

子どもを育てながら、自分の中の子どもにも出会う

子育てをしていると、自分の中にある幼い部分にも出会います。

認めてほしい気持ち。
わかってほしい気持ち。
傷つきたくない気持ち。
失敗したくない気持ち。
ちゃんとした母親だと思われたい気持ち。

子どもの言葉や行動が、その部分に触れることがあります。

だから必要以上に反応してしまう。
子どもの問題なのに、自分の過去の感情まで動き出す。
そんなことがあるのだと思います。

ここを責めるのではなく、
「ああ、私の中にもそういう部分があるんだな」と見られるようになりたい。

子どもを通して、自分の未熟さを見る。
でもそれは、自分を嫌いになるためではなく、少しずつ理解するためなのだと思います。

これから大事にしたいこと

これから私が大事にしたいのは、子どもを思い通りにすることではありません。

子どもの状態を観察すること。
自分の焦りに気づくこと。
正しさを押しつける前に、今の負荷を見ること。
子どもの感情と自分の感情を分けること。
できなかった日も、また戻ること。

そして、親である前に、一人の人間として自分を整えること。

子どもを育てるということは、
子どもだけを育てることではないのかもしれません。

親の自分も、何度も揺さぶられ、傷つき、気づき、少しずつ育っていく。

きれいな話だけではありません。
後悔もあるし、情けなさもあります。
それでも、その中で気づいたことを言葉にしていきたい。

今日は、この記録をここに置いておきます。

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