子どもを育てながら、ときどき思います。
「どうやって子どもを育てるか」より先に、
親である前に、一人の人間としてどう在りたいかを考えたくなる日がある。
子育て論というより、生き方の問い。
たぶんこれは、40代だけの話じゃなくて、50代、60代、それ以降も形を変えながら続いていく。
今日は、その問いをここに置いておきます。
ずっと考えてきたのは、子どものことだけじゃなかった
発達特性のある子どもの子育て。
不登校。
離婚。
仕事。
お金。
制度。
この数年、わたしの頭の中は、いつも何かの“調整”で埋まっていました。
現実が動くたび、調べて、考えて、選んで、また迷う。
でも、根っこに流れているのはたぶんこれです。
わたしは、どう生きたいのか。
子どもの問題を解いているようで、
実は自分の人生の輪郭を探している時間でもあった気がします。
親という役割は人生の一部、なのに全部になりやすい
子どもが小さい頃は、どうしても
母親=自分
になりがちです。
特に、支援が必要なことが多い家庭では、なおさら。
学校との連絡、支援者との調整、病院、手続き。
日々の生活が「子どものために」組み立てられていく。
気づいたら、自分がどこにいるのか分からなくなる。
自分の好みや楽しみが、思い出せなくなる。
でも本来の順番は、たぶんこうです。
わたし(ひとりの人間)
↓
その一部として親
順番が逆になると、苦しくなる。
最近それを、少しずつ実感しています。
「善く生きる」とは、正しい選択をすることではないかもしれない
若い頃は、善く生きることを
- 正しい選択をすること
- 失敗しないこと
- 頑張ること
だと思っていました。
でも年齢を重ねると、少し違う気がします。
善く生きるとは、
自分にも他人にも誠実であることなのかもしれない。
たとえば、
- わからないことは「わからない」と言う
- 疲れたら休む
- 助けてほしい時は助けを求める
- 子どもを思い通りにしようとしない
すごいことじゃない。
当たり前のことを、当たり前にする。
それがいちばん難しい。
わたしの強みは「世界を理解したい」気持ちがあるところ
昔から、読むのが好きでした。
図書館で本を借りて、ノートにまとめて、理解しようとする。
それは勉強好きというより、
「世界を理解したい」という欲求だったのかもしれません。
だから今も、
- 制度を調べる
- 記録する
- 子どもを観察する
- 自分を振り返る
- ブログにまとめる
そういう形で生きている。
振り返ると、ずっと同じことをしている気もします。
対象が、絵本や図鑑から人生に変わっただけで。
これから大切にしたいのは「答え」より「問い」かもしれない
50代、60代になって大切にしたいのは、
答えを出すことより、問いを持ち続けることなのかもしれません。
- 子どもは今、何を感じているんだろう
- 子どもは何を目指しているんだろう
- わたしは何を大切にしたいんだろう
すぐに答えが出なくてもいい。
問いを持ちながら生きる。
それだけで、人生は豊かになる気がします。
毎日の心がけは、3つだけでいい
全部やろうとすると疲れるから、わたしは3つに絞りたいです。
① 今日の小さな幸せを見つける
コーヒーがおいしかった。
空がきれいだった。
子どもが笑った。
それで十分。
② 子どもと自分を切り分ける
子どもの不調は子どもの課題。
子どもの挑戦は子どもの人生。
わたしは支える人。背負う人ではない。
③ 学び続ける
読む。書く。考える。
わたしはたぶん、学ぶことをやめると元気がなくなるタイプです。
だから無理のない形で、続けていきたい。
最後に:親として100点を目指すより、人として納得して生きたい
これまでずっと、
「どうしたら子どもをうまく育てられるか」を考えてきた気がします。
でもこれからは、
「どうしたら自分自身が納得して生きられるか」も、同じくらい大切にしていい時期なんだと思う。
子どもたちは、いつかそれぞれの人生を歩いていく。
そのとき、わたしの人生にも
- 読書がある
- 記録がある
- 学びがある
- 好きな景色がある
そんなふうに残っていたら強い。
親として完璧を目指すより、
一人の人間として
「今日は自分らしく生きられたな」
と思える日を積み重ねたい。
今日は、この記録をここに置いておきます。
