最近、子どもたちに何を身につけてほしいのかを考えていました。
漢字。
計算。
お金の使い方。
時間の見方。
人との距離感。
困ったときに助けを求める力。
学校の勉強だけではなく、これから生活していくために必要なことを、少しずつ身につけてほしいと思っています。
では、私はどうだろう。
子どもたちに必要なことを考えるうちに、ふと、
「今の私には、どんな教養が必要なのだろう」と思いました。
教養というと、本をたくさん読んだり、歴史や芸術について知ったり、難しい言葉を理解したりすることを思い浮かべます。
でも、今の私に必要なのは、もっと生活に近いものかもしれません。
毎日の暮らしを守ること。
自分が壊れないようにすること。
子どもたちと、自分の人生を、どちらも大切にすること。
そのための知識や考え方も、ひとつの教養なのだと思うようになりました。
制度を知ることは、暮らしを守ること
離婚や不登校、発達障害のある子どもたちの育児を経験して、制度を知っているかどうかで、生活の負担が大きく変わることを知りました。
児童扶養手当。
特別児童扶養手当。
障害福祉サービス。
医療費の助成。
放課後等デイサービス。
ショートステイ。
相談支援。
最初から詳しかったわけではありません。
必要になったときに調べて、役所へ行き、支援者に聞き、書類を書きました。
一度聞いただけでは理解できず、何度も確認したこともあります。
だから私は、すべてを暗記するのではなく、
「どこに聞けばいいのか」
「何を確認すればいいのか」
「分からないときに、分からないと言えるか」
を身につけておきたいと思います。
制度を知ることは、自分と家族の暮らしを、必要以上に苦しくしないための教養なのだと思います。
お金を見ることは、不安に飲み込まれないため
お金のことを考えるのは、正直、あまり楽しくありません。
収入。
家賃。
光熱費。
食費。
車の維持費。
医療費。
子どもたちに必要なお金。
数字を見れば現実がはっきりするので、怖くなることもあります。
以前は、不安になると、頭の中だけで何度も計算していました。
この先、大丈夫だろうか。
急な出費があったらどうしよう。
働けなくなったらどうなるのだろう。
考えても答えが出ないまま、不安だけが大きくなることもありました。
でも、少しずつ分かってきたことがあります。
お金を見ることは、自分を責めるためではない。
現実を確認して、守るものの順番を決めるためです。
今月、何にいくら必要なのか。
手元にいくら残しておくのか。
今すぐ必要なものなのか。
少し待てるものなのか。
数字にすると、不安がすべて消えるわけではありません。
それでも、ぼんやりとした恐怖が、整理できる問題に変わることがあります。
節約を頑張り続けることよりも、生活が崩れない仕組みを考える。
それが、今の私に必要なお金の教養なのだと思います。
人に頼ることも、身につける力
私は長い間、人に頼ることが苦手でした。
できるだけ自分でやろうとする。
迷惑をかけないようにする。
相手も忙しいからと、お願いを飲み込む。
そして、限界に近づいてから、ようやく「助けてください」と言う。
そんなことを何度も繰り返してきました。
でも、家族のこと、学校のこと、福祉のこと、仕事のことを、一人ですべて抱えるのは難しい。
頑張れば解決することばかりではありません。
誰に相談するのか。
何に困っているのか。
何をしてほしいのか。
いつまでに必要なのか。
頼るためにも、整理する力が必要です。
ただ「大変です」と伝えるだけでは、相手も何をすればいいのか分からないことがあります。
だから、
「ここまではできます」
「ここから先は難しいです」
「この部分を手伝ってください」
と分けて伝える。
人に頼ることは、弱さではありません。
暮らしを一人で抱え込まないための技術であり、私がこれから身につけていきたい教養です。
境界線は、冷たさではなく守り
母親であること。
仕事をすること。
学校や支援者とやり取りすること。
いろいろな立場で人と関わっていると、自分がどこまで引き受けるべきなのか分からなくなることがあります。
子どもの困りごとは、私の責任なのか。
支援者同士の連携まで、私が間に入るべきなのか。
相手が不機嫌になったら、私が謝るべきなのか。
頼まれた仕事は、無理をしてでも終わらせるべきなのか。
以前の私は、相手が困らないようにすることを優先していました。
でも、その積み重ねで母親である私が倒れてしまえば、暮らし全体が回らなくなります。
自分の責任と、相手の責任を分ける。
今すぐ返事をせず、考える時間をもらう。
難しいことは、難しいと伝える。
相手の感情まで、自分の責任にしない。
境界線を引くことは、相手を切り捨てることではありません。
関係を続けるために、自分を守る線を引くことです。
優しくありたいからこそ、全部を背負わない。
その感覚を、私はこれからも忘れないようにしたいと思います。
自分の心と体を知ること
疲れているのに動き続ける。
眠れていないのに、まだ大丈夫だと思う。
心がざわざわしているのに、考えれば答えが出るはずだと、さらに考え続ける。
私は、限界まで頑張ってから、自分の疲れに気づくことがあります。
でも、自分の状態を知ることも教養なのだと思います。
眠れているか。
食べられているか。
呼吸が浅くなっていないか。
同じことを何度も考えていないか。
人の言葉に、いつも以上に傷ついていないか。
調子が悪い日に、大きな決断をしない。
答えが出ないときは、一度休む。
自分を整えることを、後回しにしない。
休むことは、何もしないことではありません。
明日の自分が動けるように、今日の自分を守ることです。
子どもの行動を、違う言葉に置き換える
子どもが動かないとき。
切り替えられないとき。
怒ったり、泣いたり、学校に行けなかったりするとき。
親としては、
「どうしてできないのだろう」
「私の関わり方が悪いのだろうか」
「もっと頑張らせたほうがいいのだろうか」
と考えてしまいます。
でも、その行動の奥には、本人なりの理由があるのかもしれません。
不安が強い。
見通しが持てない。
言葉をうまく理解できない。
感覚がつらい。
疲れている。
頭の中がいっぱいになっている。
「やらない」ではなく、「今はできない」。
「わがまま」ではなく、「困っている」。
そう置き換えるだけで、見える景色が変わることがあります。
子どもの行動を、責める言葉ではなく、困りごとの言葉に翻訳する。
そして、学校や支援者に伝わる形に整える。
これは、子どもたちを守るためだけではなく、私自身が自分を責めすぎないためにも必要な教養です。
文章にすることで、問題と自分を分ける
私は、考えていることを文章にすると、少し落ち着くことがあります。
起きたこと。
感じたこと。
困っていること。
相手にお願いしたいこと。
頭の中では全部が絡まっていても、書いてみると、少しずつ分けられます。
これは事実。
これは私の気持ち。
これはまだ分からないこと。
これは相手に確認したいこと。
書くことは、きれいな文章を作るためだけではありません。
問題と、自分そのものを切り分ける作業でもあります。
何かがうまくいかなかったからといって、私という人間がだめなわけではない。
ただ、今、整理する必要のある問題がある。
そう思えるだけで、少し呼吸がしやすくなります。
これからも私は、立て直すために記録していきたいと思います。
情報を集めすぎないための教養
不安なときほど、情報を探し続けてしまいます。
病気のこと。
発達障害のこと。
学校のこと。
制度のこと。
お金のこと。
将来のこと。
調べれば調べるほど、安心できることもあります。
一方で、他の家庭の体験談や極端な意見を読み続けて、かえって苦しくなることもあります。
誰が発信しているのか。
いつの情報なのか。
根拠はあるのか。
広告ではないか。
私たちの家庭にも当てはまるのか。
情報は多ければ多いほどいいわけではありません。
今の自分に必要なものを選び、必要のないものからは離れる。
情報との距離を整えることも、これから身につけたい教養です。
最後に残るのは、自分の人生を選ぶ力
母親だから。
ひとり親だから。
障害のある子どもを育てているから。
仕事をしているから。
いろいろな立場があります。
けれど、私は役割だけでできているわけではありません。
子どもたちには、子どもたちの人生があります。
私には、私の人生があります。
もちろん、今は子どもたちの生活を支えることが大きな部分を占めています。
それでも、自分の人生をすべて後ろに置き続けなくてもいい。
学びたい。
書きたい。
働きたい。
安心して暮らしたい。
ときには、一人で静かに過ごしたい。
そんな自分の気持ちも、大切にしていいのだと思います。
世間の普通ではなく、私たちにとって無理のない形を選ぶ。
一度決めたことを、状況に合わせて変える。
正解を探し続けるのではなく、そのときの自分が納得できる選択をする。
それが、最後に残る教養なのかもしれません。
もっと頑張るためではなく
私はこれまで、足りないものを身につければ、もっと頑張れると思っていました。
知識を増やす。
資格を取る。
仕事を覚える。
家事を整える。
子どもへの対応を学ぶ。
どれも無駄ではありません。
けれど、これから身につけたいのは、頑張り続けるための力だけではありません。
立ち止まる力。
助けを求める力。
自分の限界を知る力。
背負わなくていいものを手放す力。
自分の気持ちを置き去りにしない力。
それもまた、生活の中で育てていく教養なのだと思います。
すぐに全部できなくてもいい。
今日、ひとつ確認できた。
ひとつ断ることができた。
誰かに相談できた。
少し休むことができた。
自分の気持ちを言葉にできた。
その小さな積み重ねが、暮らしを守る力になっていく。
もっと頑張るためではなく、
自分と家族が、無理をしすぎずに生きていくために。
私はこれからも、生活の中にある教養を、少しずつ身につけていきたいと思います。
