昔から、数学が好きでした。
理由はたぶん、明確な答えがあるからです。
式を立てて、順番に考えて、答えにたどり着く。
正解か不正解かが分かる。
その感じが、私には安心でした。
もちろん難しい問題もあります。
でも、少なくとも「答えがある」という前提がある。
そこに向かって考えていけばいい。
今思うと、私は昔から、曖昧なものよりも、整理できるものに安心するタイプだったのだと思います。
でも、人生や子育ては、数学みたいには解けませんでした。
今日は、「正解を探すことをやめてから、少し楽になったこと」について書いてみます。
早く答えを出したかった
私は、何か問題が起きると、早く解決したくなります。
どうすればいいのか。
何が正しいのか。
誰に聞けばいいのか。
どの選択肢が一番いいのか。
頭の中で、すぐに答えを探し始めます。
白黒はっきりさせたい。
方向性を決めたい。
曖昧なまま置いておくのが苦手。
それは、生活を前に進める力にもなってきました。
調べる。
相談する。
手続きをする。
記録する。
必要な情報を集める。
そうやって動けたから、乗り越えられたこともたくさんあります。
でも一方で、早く答えを出そうとするほど苦しくなることもありました。
子育てには、すぐに答えが出ないことが多い
子育ては、正解が見えにくいです。
特に、発達特性のある子どもを育てていると、
一般的な子育ての正解が、そのまま当てはまらないことがあります。
学校に行かせた方がいいのか。
休ませた方がいいのか。
勉強を促した方がいいのか。
今は安心を優先した方がいいのか。
本人の意思を待つのか。
親が少し背中を押すのか。
どちらにも理由があります。
どちらを選んでも、不安が残ります。
しかも、子どもが二人いると、それぞれに違う難しさがあります。
同じ家庭で育っていても、困り方が違う。
必要な声かけも違う。
落ち着く方法も違う。
学校への負担感も、感覚のつらさも、心の反応も違う。
ひとつの方法で二人とも整う、ということはあまりありません。
だから、毎日が「応用問題」の連続でした。
しかも、解答欄はない。
採点してくれる人もいない。
それなのに、母親である私は、何かしら判断しなければならない。
この重さが、ずっとありました。
正解を探すほど、自分を責めてしまう
正解を探すこと自体は、悪いことではありません。
でも、正解が見つからないとき、私は自分を責めやすくなります。
もっと調べればよかったのかな。
もっと早く相談すればよかったのかな。
私の判断が間違っていたのかな。
違う対応をしていたら、今は変わっていたのかな。
そんなふうに考え始めると、過去の自分まで責めてしまいます。
でも、子育ての現実は、その時点で見えている情報の中で判断するしかありません。
あとから振り返ると、別の選択肢が見えることがあります。
でも、その時の自分には、その時の限界がありました。
知識も、体力も、心の余裕も、支援のつながりも、今とは違った。
そう考えるようになってから、少しだけ過去の自分に厳しくしすぎなくなりました。
「正解」ではなく「今の最善」を選ぶ
最近は、正解を探すより、
「今の時点での最善」を選ぶことを意識したいと思っています。
正解は分からない。
でも、今見えている範囲で、できるだけ負担が少ない形を選ぶ。
今日の子どもの状態。
私の体力。
仕事の予定。
支援の空き状況。
学校との関係。
家の中の空気。
そういう現実を見ながら、その日の判断をする。
これは、数学のように美しい答えではありません。
でも、暮らしの中では、その方が現実に合っていることがあります。
正解を探すのではなく、
その日の条件の中で、少しでも崩れにくい選択をする。
それが、今の私にできることなのかもしれません。
白黒ではなく、グレーを持つ
以前の私は、白黒をつけたい気持ちが強かったと思います。
行くのか、行かないのか。
できるのか、できないのか。
続けるのか、やめるのか。
正しいのか、間違っているのか。
でも、子どもの状態は白黒ではありません。
行ける日もある。
行けない日もある。
できる時間もある。
できない場面もある。
やりたい気持ちはあるけれど、体がついてこない日もある。
嫌だと言いながら、本当は怖いだけの日もある。
ここを白黒で判断すると、親も子も苦しくなります。
だから最近は、グレーを持つ練習をしています。
今日は保留。
今週は様子を見る。
午前だけ考える。
全部ではなく、一部だけやる。
無理なら戻る。
こういう中間の選択肢があるだけで、少し呼吸がしやすくなります。
すぐに解決しないことにも、意味があるのかもしれない
すぐに解決しない問題は、不安です。
でも、すぐに答えが出ない時間の中で見えてくるものもあります。
子どもの本音。
自分の焦り。
支援者との関係。
家庭の限界。
本当に必要なもの。
今はまだ動かさない方がいいこと。
早く解決したい気持ちが強いと、こういうものを見落とすことがあります。
答えが出ない時間は、ただの停滞ではないのかもしれません。
観察する時間。
整える時間。
タイミングを待つ時間。
そう思えるようになっただけでも、少し楽になりました。
「分からないまま進む」ことを覚える
人生には、分からないまま進むしかないことがあります。
この選択でよかったのか。
この対応で合っているのか。
このままで将来大丈夫なのか。
すぐには分かりません。
でも、分からないから何もしないのではなく、
分からないまま、小さく動いてみる。
相談してみる。
休ませてみる。
予定を減らしてみる。
選択肢を2つにしてみる。
今日は話題にしないでみる。
少し距離を取って見守ってみる。
その結果を見ながら、また調整する。
これは正解探しというより、日々の実験に近いのかもしれません。
正解をやめたら、少し優しくなれた
正解を探し続けていると、私は自分にも子どもにも厳しくなります。
ちゃんと選ばなきゃ。
間違えちゃいけない。
今ここで正しい判断をしなきゃ。
そう思うほど、余裕がなくなります。
でも、「今はまだ正解が分からなくてもいい」と思えると、少しだけ優しくなれます。
子どもにも。
自分にも。
失敗しても、また調整すればいい。
うまくいかない日があっても、全部がダメになったわけではない。
今日の判断が完璧でなくても、明日少し変えられる。
そのくらいの余白がある方が、今の私には合っている気がします。
まとめ:数学みたいに解けない日々を、それでも生きていく
昔から、数学が好きでした。
明確な答えがあることに安心していました。
でも、子育てや人生には、答えがすぐに出ないことがたくさんあります。
特に、発達特性のある子どもたちとの日々は、
一般的な正解だけでは進めないことが多いです。
早く解決したい。
白黒はっきりさせたい。
間違えたくない。
その気持ちは今もあります。
でも最近は、少しずつ思います。
正解を探し続けるより、
今の条件の中で、少しでも安心できる形を選ぶこと。
白黒ではなく、保留やグレーを持つこと。
分からないまま、小さく試してみること。
うまくいかなければ、また戻って考えること。
それでもいいのかもしれません。
数学みたいに解けない日々を、
私はこれからも、迷いながら生きていくのだと思います。
今日は、この記録をここに置いておきます。
