変わりたいと思ったきっかけは、何かがうまくいかなかったから、というより、
「このままでは自分が自分でいられなくなる」と感じた瞬間だった気がします。
離婚すること。
1年間で20キロ減量すること。
心身ともに変わりたいこと。
今の現状を脱却したいこと。
一つひとつは違う話に見えるのに、根っこは同じでした。
抱えるものが多すぎて、自分の手では対処しきれない。
その状態の中で、わたしはずっと“巻き込まれている”感覚のまま生きていました。
抱えすぎて、何が問題なのか分からなくなっていた
気づいたら、毎日が「処理」になっていました。
やることを片づけて、なんとか今日を終わらせる。
明日も同じように回す。
でも、回せば回すほど、心が削れていく感じがありました。
焦り、不安、自己否定。
そして、どこかで「わたしが悪いからこうなっている」と思い込む癖が強くなっていきました。
問題が大きいのではなく、問題と自分がくっつきすぎていた。
そう気づけたのは、わたしにとって大きな転換でした。
「問題」と「自分」を切り分けられるようになりたかった
変わりたいと思ったのは、完璧になりたいからではありません。
強くなりたいからでもありません。
ただ、問題と自分を切り分けられるようになりたかった。
起きていることを「現象」として扱って、
自分自身まで一緒に否定しないようになりたかった。
離婚は、その一つでした。
「この環境のままでは立て直せない」と思ったとき、
わたしは初めて、状況を自分の人格と切り離して見ようとしたのかもしれません。
20キロ減量も、「人生を動かす」ための具体策だった
減量というと、見た目の話に見えます。
でも、わたしの中では「生活を立て直すための具体策」でした。
体が重いと、心も重くなります。
疲れが抜けないと、思考も鈍ります。
気力が落ちると、判断も荒くなります。
心身ともに変わりたい。
そのために「体を変える」というのは、わたしにとって分かりやすい入口でした。
成果のためというより、
“自分で自分を扱える感覚”を取り戻すためだったと思います。
ネガティブな経験も、自己理解のきっかけになると思えるようになった
離婚も、不調も、体重の増加も。
正直、胸を張れる出来事ではありません。
ただ、ここまで来て思うのは、
ネガティブだと思われる経験からでも、自己理解は深まるということです。
むしろ、苦しかった時期ほど、自分の癖がよく見えました。
- 無理を前提にしてしまう
- ひとりで抱え込む
- できない自分を責める
- “変わらなきゃ”で追い詰める
こういう癖に気づけたこと自体が、
変わりたいと思えた理由の一部だったのかもしれません。
変わりたい、は「もっと良くなりたい」ではなく「整えたい」だった
変わるという言葉は、前向きに聞こえます。
でも、わたしの感覚としては、
「別人になりたい」ではなく「整えたい」でした。
自分の軸に。
呼吸に。
落ち着きに。
自分を見失わない状態に。
だから、変わりたいと思ったのは、
現状を否定したいからではなく、
現状に巻き込まれたままの自分を、少し離れた場所に戻して整えたかったからです。
今日の結論として置いておく
離婚する。
1年間で20キロ減量する。
心身ともに変わりたい。
現状を脱却したい。
その全部の奥にあったのは、
「問題と自分を切り分けられるようになりたい」という願いでした。
ネガティブに見える経験も、
自己理解の入口になる。
そう思えたことは、わたしにとって小さくない変化です。