離婚してから、ずっと考えていることがあります。
人は、どれだけ話し合っても、どうしてもわかり合えない相手がいる。
そして、わかり合えないことは、必ずしもどちらか一方が悪いという意味ではないのかもしれない。
もちろん、傷ついたことはあります。
言われた言葉が残っていることもあります。
思い出すと、まだ心が固くなる場面もあります。
それでも今は、相手を変えることより、
自分と子どもたちの生活を守ることの方が大事だと思うようになりました。
今日は、離婚した元夫との関係を通して考えた、
「わかり合えない人との距離の取り方」について書いてみます。
わかり合えないことを、負けだと思っていた
以前の私は、わかり合えないことを、どこかで失敗のように感じていました。
もっと上手に伝えればよかったのか。
もっと冷静に話せばよかったのか。
もっと我慢すれば、違う未来があったのか。
そんなふうに、自分の中で何度も考え直していました。
でも、どれだけ言葉を尽くしても、同じ景色を見られない相手はいます。
同じ出来事を経験していても、受け取り方も、価値観も、優先順位も違う。
そこで無理にわかってもらおうとすると、こちらの心が削られていきます。
わかり合うことを諦めるのは、冷たいことではなく、
これ以上傷つけ合わないための距離なのかもしれません。
離婚後は、必要な連絡だけにした
離婚後、私は元夫と必要以上の連絡を取らないようにしています。
子どもに関すること。
手続きに関すること。
どうしても必要な確認。
そういう最低限の連絡だけにしています。
これは、相手を罰したいからではありません。
自分の心を守るためです。
過去の関係の中で傷ついたことがあると、トラウマとなり、たった一言の連絡でも心が大きく揺れることがあります。
そのたびに生活が乱れ、子どもへの対応にも影響が出るなら、距離を置くことは必要な選択だと思います。
親同士だからといって、何でも話し合わなければならないわけではない。
離婚した相手だからこそ、境界線をはっきりさせることもあります。
子どもと元夫の関係は、私の感情とは分けて考える
一方で、子どもたちが父親に会いたいと思う気持ちは、私の感情とは別のものです。
私は、離婚後も、子どもたちが会いたいと言ったときに会うことを制限しないようにしています。
そこには、私の中で決めている線引きがあります。
私自身は、必要以上に関わりたくない。
でも、子どもたちが父親とどう向き合うかは、子どもたち自身の人生でもある。
親の感情と、子どもの関係を完全に切り分けるのは簡単ではありません。
でも、できるだけ混ぜないようにしたいと思っています。
もちろん、安全や子どもの心身に影響がある場合は、親として考える必要があります。
ただ、私の傷つきと、子どもたちの気持ちを同じ箱に入れないこと。
そこは意識していたいです。
「わかってほしい」を手放すと、少し楽になる
元夫に対して、以前は「わかってほしい」という気持ちがありました。
どれだけ大変だったか。
どれだけ傷ついたか。
どれだけ子どもたちのことを考えてきたか。
どれだけ一人で抱えてきたか。
でも、相手にわかってもらうことを目的にすると、いつまでも苦しくなります。
わかってもらえないたびに、また傷つく。
説明しても伝わらないたびに、自分の経験まで否定されたように感じる。
そしていつしか諦めました。
だから今は、少しずつ考え方を変えています。
わかってもらうことより、
自分が自分の経験をわかっていること。
誰かに認めてもらえなくても、
私が私の現実を知っていること。
それだけでも、少し足元が安定します。
距離を取るとは、相手を攻撃しないことでもある
距離を取るというと、相手を拒絶することのように見えるかもしれません。
でも私にとっては、相手を責め続けないための方法でもあります。
近すぎると、過去の怒りや悲しみが出てきます。
相手の言葉に反応して、また傷つき、また言い返したくなる。
その状態では、冷静な判断ができません。
だから、距離を取る。
連絡は必要なことだけにする。
感情をぶつける場所にしない。
生活を守るために、関わり方を小さくする。
これは逃げではなく、関係をこれ以上悪化させないための工夫でもあると思います。
子どもたちに伝えたいこと
この経験を通して、子どもたちに伝えたいことがあります。
世の中には、どうしてもわかり合えない人がいる。
どれだけ説明しても、同じ気持ちにはなれない人がいる。
でも、それはあなたの価値が低いという意味ではない。
相手にわかってもらえないからといって、
自分を否定しなくていい。
嫌なことをされたら、離れていい。
苦しくなる相手とは、距離を置いていい。
全部の人と仲良くしなくてもいい。
ただし、距離を置くことと、相手を攻撃することは違う。
必要なことは伝える。
でも、心まで差し出さない。
相手の機嫌を取るために、自分を削らない。
そういう境界線を、子どもたちにも少しずつ伝えていきたいです。
「合わない人」がいることを前提にして生きる
人間関係は、努力すれば必ずうまくいくものではありません。
もちろん、話し合うことや歩み寄ることは大切です。
でも、それでも合わない人はいます。
価値観が違う。
大事にしているものが違う。
言葉の受け取り方が違う。
責任の考え方が違う。
その違いを無理やり埋めようとすると、自分の心が壊れることがあります。
だから最近は、こう思うようになりました。
合わない人がいるのは自然なこと。
わかり合えない人がいるのも自然なこと。
大事なのは、そこで自分を失わないこと。
距離の取り方は、自分を守る生活技術
わかり合えない人との距離の取り方は、特別な人間関係の話ではありません。
元夫との関係だけではなく、
職場、学校、支援者、親族、友人関係の中でも起こります。
相手を変えようとする前に、
自分はどこまで関わるのかを決める。
話し合うのか。
距離を置くのか。
必要事項だけにするのか。
第三者を挟むのか。
記録に残すのか。
こうした判断は、冷たいものではなく、自分を守る生活技術です。
境界線は、人を切り捨てるためではなく、
自分の心と生活を守るためにあります。
最後に
わかり合えない人がいることを受け入れるのは、少し寂しいことです。
でも、わかり合えない相手に、ずっと自分の心を預け続ける必要はありません。
私は私の生活を守る。
子どもたちの安心を守る。
必要なことだけを伝え、必要以上に近づかない。
それは、冷たい選択ではなく、これからを生きるための選択です。
人と人は、必ずしも深く理解し合わなくてもいい。
安全な距離で関われるなら、それで十分な関係もある。
今日は、この記録をここに置いておきます。
