支援を受ける側になって初めて見えたもの:助けてもらうことは、生活の外枠を作ることだった

支援を受ける側になる前のわたしは、どこかで「支援=特別な人が使うもの」みたいに思っていました。
制度やサービスの存在は知っていても、自分の生活と地続きだとは感じていなかった。

でも、子どもたちの特性と日々の生活が重なって、ある時期から明らかに「家庭だけでは回らない」になりました。
気合いでなんとかするには、もう限界だった。
そこから、わたしは支援につながっていきました。

いま利用している(していた)のは、相談支援事業所、児童発達支援、放課後デイサービス、ショートステイ、行動援護、訪問看護。
今日は、支援を受ける側になって初めて見えたことを、きれいにまとめるためではなく、いまの感覚のまま置いておきます。

目次

わたしが「支援」に触れたときの現実

支援につながる前のわたしは、ずっと「自分で抱える」前提で生きていました。
親なんだから。わたしがやらないと。
そうやって踏ん張るほど、静かに疲弊していきました。

疲れているのに眠れない。
些細なことに反応してしまう。
子どもの困りごとにも丁寧に向き合いたいのに余裕がない。

それでも、支援に頼ることには抵抗がありました。
「迷惑じゃないかな」「大げさかな」「わたしの努力不足なのかな」
そんな気持ちがずっとあった。

でも、ある時はっきり思ったんです。
これは根性の問題じゃなくて、構造の問題だ、と。
家庭という箱に詰め込みすぎて、回らなくなっているだけだ、と。

そこから、少しずつ支援につながっていきました。

支援につながるまでの悩み

  • 支援を受けたいのに、どう動けばいいか分からない
  • 相談するだけで疲れる。説明する言葉が出ない
  • 「このくらいで頼っていいの?」と迷う
  • 周りに理解されない気がして、孤独になる
  • サービスを使っても罪悪感が消えない
  • 受ける側になった瞬間、立場が急に弱く感じる

そして、いちばん大きいのはこれかもしれません。

本当に必要な人ほど、支援にたどり着くまでがしんどい。

支援を受ける側になって初めて見えたもの

1)支援は「助け」だけじゃなくて、生活の“外枠”だった

支援って、何かをやってもらうことだと思っていました。
でも実際は、生活に外枠ができる感じでした。

児童発達支援、放課後デイサービス、ショートステイ。
行動援護、訪問看護。
それぞれが、生活の中に「支えの柱」を作ってくれる。

その柱があると、家庭が全部を抱えなくてよくなります。
結果として、子どもにも、親にも、余白が戻ることがあります。

2)支援は「必要な人に自動で届く」ものではなかった

支援は、存在しているだけでは使えませんでした。
相談して、条件を確認して、書類を用意して、ようやく一歩進む。

このプロセスが、生活が混乱している人ほどしんどい。
本来いちばん必要な人ほど、いちばん遠い。

だからこそ、支援を使っている人は「得してる」わけじゃなくて、
たまたま踏ん張ってつながれただけのことも多い。
そういう現実も見えました。

3)「受ける側」になると、言葉が足りなくなる

支援につながって最初に困ったのは、説明でした。
何が困っているのか。どれくらいしんどいのか。何ができないのか。
うまく言えない。

でも、言えないから困っているのに、言えないと伝わらない。
このループがつらかった。

だからわたしは、少しずつ「言葉の型」を作るようになりました。
状況→困りごと→頻度→安全→希望。
完璧じゃなくていい。最低限伝わればいい。

4)支援を使っても、心がすぐ楽になるとは限らなかった

支援が入ったら全部解決、ではなかったです。
むしろ最初は、気持ちが追いつかないことがありました。

  • 申し訳なさ
  • 罪悪感
  • うまく説明できない自分への自己否定

支援を使うことは、現実を直視することでもあったからです。
でも、直視できたから、次の手も打てるようになりました。

5)それでも、支援は“家族の空気”を変えることがある

支援があると、第3者の介入があることによって家庭の空気が少し変わる日があります。
怒らなくて済む場面が増える。
余裕が少し戻る。
「今日を安全に終える」が増える。

わたしにとって支援は、
子どもを“変える”ためのものというより、
家庭が潰れないための土台でした。

まとめ

この記事を読んで、すぐに何かが変わらなくてもいいと思っています。
ただ、次のような状態になれたら十分です。

  • 支援を「甘え」ではなく、生活を回すための仕組みとして見られる
  • 自分を責めるより先に「構造」を見直す視点が持てる
  • 相談や手続きがしんどいのは当然だ、と自分に言える
  • 「受ける側」になった自分を、弱いと決めつけない
  • 今日できる最小の一歩(メモ、相談先を調べる、話す順番を決める)が見える

支援を受ける側になって初めて分かったのは、
支援は「特別な家庭の話」ではなく、生活の現実の話だったということです。

児童発達支援、放課後デイサービス、ショートステイ、行動援護、訪問看護。
これらは、わたしの家庭にとって「最後の手段」ではなく、
生活を崩さないための外枠になっています。

支援があるから強くなれる、というより、
支援があるから崩れても戻れる。
いまのわたしは、そう感じています。

今日は、この記録をここに置いておきます。

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